感覚を言語化することの難しさを最近思う。例えば、中華料理屋に入った時に「エビチリを食べたい」と思うとする。僕は今「エビチリを食べたい」と書けているし、もしその場に友人がいたならば「エビチリを食べたい」と言うこともできるだろう。その意味では「エビチリを食べたい」という感覚を言語化し伝えることができていると言えるのかもしれない。

だが、「エビチリを食べたい」というこの感覚は「エビチリを食べたい」という言葉では4%くらいの正確さでしか伝えられていないのだという感覚がある(この感覚ももちろん言語化することはできない)。

僕は言葉にすることと思考することは同一のものだと思っている。その意味で言葉にできていないということは、「エビチリを食べたい」という自分をほとんど理解できていないということに等しいと思う。だから、悔しいし、感覚を言語化することができる人になりたいと思う。