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僕はかなり優柔不断だ。特にレストランでメニューを決めるのがかなり苦手だ。優柔不断と聞いて普通の人が想像する優柔不断が78くらいだとしたら、僕は2347くらいは優柔不断だと思う。

特にファミレスは恐ろしい。メニューの写真が考え抜いた上で撮られているのでどの料理も魅力的すぎるのだ。結局どれを頼んだところで美味しいと思う程度の舌なのに、どれでも良いとは思えない。

友人と行ったなら、冗談かと思うくらい待ってもらうし、最近は諦めがついたので目をつぶってメニューを指差した先にある料理を頼むことも多い。ぼくはそんな人間だ。

何もしない時間を作るということを意識している。

今の僕たちはいつだって何かをしている。1日は24時間であるという不変のルールを承諾した上で、その時間に「元をとってやる」と言わんばかりに行為をぎゅうぎゅうに詰め込んでいく。

特に、そのムーブメントを加速させたのがスマホだ。その携帯性のおかげでいつでも使用できる。また、アプリという仕組みは起動・使用・終了という流れを30秒単位で完了させることを可能にした。

だけど、そんな生活が息苦しくなり、なんでもない時間を意識して作るようにした。電車に乗りながら空を眺める時間。家で椅子に座りながら書棚にある本を漠然と眺める時間。そういった時間に意味はないように見えるかもしれないけど、僕は「すぐ効果が出るものはすぐに効果が出なくなる」ということを信じている。だから、このなんでもない時間を大事にしながら生きていきたいと思う。

ロジックと直感のどちらが偉いのかと考えると僕は圧倒的に直感の方が偉いし大事だと思う。何かを主張する時、ひとはたいてい論理的であろうとする。そのため、フレームワークを持ち出して、物事をMECEに分解する。そして、出揃った選択肢の中から判断基準に最も適している選択肢を選ぶ。しかし、論理的に考えた結果が直感、つまり「これなんか違う気がする」というフィーリングと外れている時、その答えは間違っている確率が非常に高い気がする。

それならいっそ、最初から直感に頼った方がてっとりばやい。僕が思うに、ロジックというのは、自分しか感じていないものである直感を、他者にも理解してもらうためのものなのではないかと思う。「直感でこう思うんでこれにします」では誰にも納得してもらえないから、その直感を客観的根拠で武装していくと言ってもいい。

会話というものは上手くいかないなものだと感じる時がある。初めに言っておくと、僕はそこそこ会話が得意だ。人を笑わせよう、楽しませようということをかなり意識していて実際楽しんでもらえてるつもりだ。
で、難しいのは事実提示型の話をしがちな人がいる時だ。例えば、ローマに行った時のことを延々と話し続けるみたいな。ローマに行ったという経験はその人しか持っていないから、ローマという話題についてはその人vsその他の人という構図になってしまい、会話が活発なものとはなりにくい。
じゃあ、どんな会話が活発になりやすいのかということだが、それは価値観比較型の話題だと思う。例えば、スタバでマックをいじってる人をどう思うか?という話題だ。価値観比較型の話題のいいところは複数ある。まず、価値観はすべての人が持っているのですべての人が対等な立場で話題に参加することができる。さらに、その場の誰も傷つけないのだが、正解のない議論なので盛り上がりやすい。

自分の力で物事を考えるということが減った気がする。この原因としては、スマホで常に情報を摂取していることがあると思っている。iPhoneのおかげで情報を取り入れる量が莫大に増え、その一つ一つを自分の考えと照らし合わせながら、吟味するという作業が間に合わなくなってしまったのだ。だから、無意識によるものではあるが、情報をそのまま取り入れ、思考を介在させることはなくなった。そういうクセがついてしまったのだ。

だが、最近はそのことを危惧していて、真っ白な紙の前でペンを持って物事を考える時間を大事にしている。そこで起こるのは思考の発露だけで、「考えている」ということはどういうことか思い出すことができる。

僕は協調的な人間だ。だから、スター選手の引退試合で、そのスター選手の打席が満塁で回ってきた時には、恐らく僕は緩い球を投げてしまうのだろうと思う。

相手は20年も日本の野球界を背負ってきたような人間だ。たくさんの希望を人々に与えてきた。そんな相手の最後を美しく飾ってやりたいではないか。当然、満塁で長打を打たれたら、僕の記録は傷つく。しかし、彼が最後に与えられる夢に比べたらちっぽけなものだ。

もちろんノーヒットノーラン達成まであと一打者という投手を前にしても、ヒットを打てるわけはない。大きな三振で偉業を彩ってやろうではないか。

マイルドカフェオレの自立したマインドが好きだ。グリコのマイルドカフェオレはご存じの通り、500ml紙パックなのにストローが付属している。大半の500ml紙パックの飲料は買われたら、別のところからやってきたストローをつけてもらわないと飲むことができない。だが、マイルドカフェオレは外部に依存することをしない。全てを自分で揃えて「飲まれる」という状態になれる万全の準備をしている。そんな向上心の強さが良い。